今回は千鳥・大悟さんの発言から炎上している「JOHN LAWRENCE SULLIVAN(ジョンローレンスサリバン)」の創設者兼デザイナーの柳川荒士さんについて調査したいと思います。
元・プロボクサーという異色の経歴の持ち主なのですが、何故ボクサーからデザイナーへ転身したのか見ていきたいと思います。
柳川荒士のプロフィール経歴Wiki
柳川さんのプロフィールはこちらになります。
プロフィール
・名前 柳川荒士(やながわあらし)
・生年月日 1975年3月17日
・出身地 広島県広島市
・職業 ファッションデザイナー
デザイナーになった理由
全く畑の違うデザイナーになった理由は至極簡単でした。
プロボクサーを引退後にずっと興味があった服飾関係へ進み、洋服の販売を経験。
その後、憧れていたロンドンへ渡り古着の買い付けなどをしながら自身でもデザインを学び始めたそうです。
2003年の27歳の頃に自身のブランドである「JOHN LAWRENCE SULLIVAN」を設立します。
・2008年 旗艦店を中目黒にオープン
・2011秋冬~2014秋冬 パリコレクションに参加
・2017秋冬~ ロンドンコレクションに参加
全くの畑違いだと思っていたが、本人はボクシングとデザイナーという職業は似てるとおっしゃってます。
似てますよ。準備期間が長いところなんて。ショーは年2回。ボクシングもプロは年に3試合くらい。それに今の仕事も減量みたいですよ。もりもりデザインしてそぎ落としてそぎ落として。デザイナーの仕事って、点のアイデアを線にしてストーリーにするんですが、そこからそぎ落とす中で、良いアイデアだけど今回は外そうとか。限られた資金や体数の中で表現しないといけない。
https://senken.co.jp/posts/senkencommunity-181006
ボクサーもデザイナーも準備期間が長く、減量して作品を作っているという事ですね。
柳川荒士は元ボクシング選手
今度はプロボクサーだった頃の柳川さんについてみていきたいと思います。
学生時代
もともとは父親がアマのボクサーだったことから、幼稚園児の頃から試合会場に連れていかれていたそうです。
小学5~6年生の頃からボクシングを始めたがキャリアを本格化させたのは高校入学後だったそうです。
高校時代
高校3年生の時にはインターハイと国体で優勝した経験があり、卒業後の進路として大学だけでなくプロの事務所からも誘われていたそうです。
しかし、オリンピック出場が夢だったため沢山のオリンピック選手を輩出している中央大学へ進学したそうです。
大学時代
高校と大学ではレベルが全然違うそうなのですが、柳川さんは入学後すぐに監督の判断で関東大学リーグ戦に出場すると、初戦で前年度国体王者に判定勝ちをしたそうです。
そこからは勢いにのり。1年生でナショナルチームに加入する事が出来たそうです。
アトランタ五輪の選手候補になりましたが、アジア地区最終予選で敗退し、残念ながらオリンピックに出場する事はできませんでしたが、4年間ずっと試合で世界中を回っていたそうです。
プロ時代
具志堅用高さんに見込まれて、白井・具志堅ジムに所属し、プロボクサーデビューをします。
フライ級のボクサーとして約4年間活動し、その後引退します。
引退時はまだ25歳でした。
戦績は12戦9勝(3KO)2敗1分でした。
現役最後となる試合では相手はのちのWBC(世界ボクシング評議会)スーパーフライ級チャンピオンとなった川嶋勝重さんで、プロ入り後初めてドキドキし、興奮したそうです。
試合前からこの試合を最後に引退すると決めていたそうです。
柳川荒士の経歴!元ボクシング選手だった まとめ
今回は異色の経歴の柳川荒士さんについて調べてみました。
若かったからとはいえ、全然違う事を始める行動力と意気込みがハンパないですね。
やはり、世界で戦う事を目指していた人らしいと思いました。
最近は千鳥・大悟さんのテレビ番組での炎上がありましたが、やはり、今回柳川さんについて調べてみて洋服一つにしても何人もの人が何年もかけて作っている事を改めて考えてみる事ができました。
洋服に限らず、料理なども作ってくれた人の気持ちがあることを忘れないで欲しいと思います。